ぽよメモ

レガシーシステム考古学専攻

学習言語について考える

今現在、日本では盛んに「英語学習の強化」が訴えられています。大事ですね、英語。 特に大学レベルの学習においては、英語の習得は必要不可欠と言っても過言ではないでしょう。 世界の標準言語が英語と言っても良い今、世界に向けて発信する情報は基本英語であるべきでしょう。 しかし、ここで一つの疑問が生じます。 果たして「学習も英語で行う必要があるのか」。 僕は日本で生まれ日本で育ち日本で学んでいます。多少の渡航経験はありますが長期滞在はしたことが無いです。要するに、英語があまり得意ではないです。TOEICのスコアは600に届きませんでした。 こんな僕でも、まぁその気になれば洋書を教科書にしてもなんとかなるでしょう。科学系の本の英語は割と単純でわかりやすいので。 でも、ネイティブたちが感じ取れるような「微妙なニュアンス」や「言葉のイメージ」が掴みづらいのです。何年か英語を学んでも、やっぱり母語である日本語のほうがはるかにわかりやすく、イメージを掴みやすい。僕があまり英語を得意とせず、英語の語彙が貧弱であることもその要因の一つではありますが、日本の学生は多くが感じていることだと思います。 「授業を英語でする」というのも、教育のグローバル化を目指す過程でよく聞くことです。しかし英語で聞いて理解するのと、日本語で聞いて理解するのはどちらの方がより容易で深く理解できるのか、それはもはや考えるまでもないと思います。 では全て日本語で学習すればいいのか。 しかしこれはこれで、いざ英語に直そうとした時ににっちもさっちもいかなくなります。 難しすぎて嫌になりますね。一生寝ていたい。 結局のところ、学習コストを「最初から高めにしてずっと続ける英語学習」と「最初は低く一定を超えると急に高くなる母語学習」のどちらがより自分に合っているか、にかかっている気がしてなりません。しかもそんなものは実際どちらも経験してみなければわからない話です。 議論ができるほどに深く英語に精通できる気がしない英語弱者なのでおとなしく日本語学習したほうがいいんですかね…それとも鞭打って英語でお勉強したほうがいいんですかね…もうわかんないです… 以上、Molecular Biology of the Cell, Sixth Editionを洋書のまま買うか、日本語版を待って買うべきかで悩んだ生物学徒の心の声でした。